昭和四十六年十一月二日 朝の御理解
御理解第六十九節 「信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三年五年の信心ではまだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、わが心をまつれ。日は年月のはじめじゃによって、その日、その日のおかげを受けて行けば立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞ」
信心は容易いものじゃが、みな氏子から難しうする。私、信心は容易いものじゃというところがわかるところまでが、私、信心だと思いますね。信心は容易いものじゃということがわかるところまでが、私は信心だと思う。信心は暇がなからなければ、お金がなからなければ、という様なことを申します。信心のない人が「ようそげん毎日、毎日参られるですね」と言う。信心のない人にとっては、だから非常に信心は難しいものですね。
毎日参る時間を割くというだけでも難しい。その上お金がいる。もういよいよ難しい。ところがその時間をかけるということが、例えば日々神恩報謝の誠がです、何がしかのお供え、御初穂、御賽銭というようなものでです、神恩報謝の誠が表されて行く。それを表さして頂くということが有難い。しかもそれがです、一時間よりも二時間、二時間よりも三時間の時間を費やしてでも。百円よりも千円、千円よりも一万円のお金を費やしてでも、いやそれを願いとさしてでも、信心が有り難いものになって来たら、いよいよ有難い。ならいよいよ信心は容易いことになるのです。
私は信心が容易いものと仰るのはそういうことと思うのです。信心が有難うなる。信心が楽しゅうなる。ものの道理、事の道理がわかればわかる程、天地に対するところの言わば還元と申しますかね。いわゆる神恩報謝の真が還元の形になって表れる。
例えて申しますと、あれは熊本県下ですね、大変な篤農の方があ
って、道場を開いて沢山な田圃を持っておられる方があります。その方は田圃に肥料を施すことはいらんと、還元して行けばよいと、大地に。それは必ず実をということではない。例えば稲作が出来ますと、その藁です。殻です。その殻の全部を大地に対して返して行けという、いわゆる還元の理ですね。
そこに天地とですね、稲作。天地と稲作を通じての人間氏子との間に密接な交流が始まるのですね。これは信心抜きにして、いわゆる天地の道理から来た、稲作を取らせて頂いたら後は、その殻であるところの稲を全部大地に返して行け。もうどういう肥料よりも素晴らしいことであって、いわゆる道理にかなった、天地の道理にかなった、言わば百姓が出来るという行き方らしい。素晴らしい行き方だと思う。いわゆる還元とはそういうことなのです。
私どもが天地の大恩、天地の神恩、天地の御恩恵なしには生きて行かれない。本当に有難い勿体ないだけでなくて、本当にその有難い勿体ないの、どうにかして表さずにおられんというのが、お参りの形に表れ、または、お賽銭に表われ、お初穂に表われということになって来ることはもうこれは素晴らしい還元です。
「真」と言い、「真心だ」と言う、私はそれが真、真心だと。だからそこに、自覚というものができるならば、お供えはもう人間の命だと、お金だって物だって、言うなら自分の命を捧げての信心生活というものです。それはやっぱり命でしょうが、お金なしでは生きて行けんでしょうが。食べ物なしでは生きて行けんでしょうが。だからお米のお供えをする、お金のお供えをすることは自分の命をお供えするのと同じなんです。
だからそれがですね、只、貰わんならんけん、頂かんならんけん、しょうことなしにするなんてことじゃないですよ。そういう働きになってこないです。自分の一番大事なもの、それは命です。その命に匹敵するものは、お金であったり物であったり、そうなんです。人間の生きて行く上に必要なものは全てが命と同じです。その大切なものをです、捧げるというのですから、これが真、真心でなくて何であろうかと思うんです。そういうことが、道理の上でわかって参りますとね、お供えが楽しゅうて、楽しゅうてこたえんごとなって来るのです。
しかも百円より千円のお供えが出来るようにと願うから、千円は万円でもお供えの出来るようにおかげを受けるから不思議です。だから楽しうてこたえんです。お供えが段々多くできるようになることの信心。例えて言うならば、神様に使う時間がです、日の中に二時間より三時間、いやもう本当にお神様参りが仕事のごとできるようなおかげを頂いたら、素晴らしいでしょう。
あれは北野の中村さんです。昔言いよんなさいました。「もう親先生の行かれるところにはどこんでもついて行きたい。おかげを頂きたい」と、中村さんの願いでしたね。もちろん御本部参拝はそうですけれども、「どこにお出られるでも、親先生がお出られるならば、それが二日がかりであろうが、三日がかりであろうが、それが私の願いだ」と言うのです。
「忙しいけんで参る時間がなか」と言う人と、例えばその時間を神様のことに使わして頂くのと、結局、結果においてはどういう風に違いが出来てくるかというと、大変、天地程違いが出来てくるです。我情我欲のために、そうに儲け出しよるごとあるけれども、それこそ天地に還元がないから、がぱーっとやられてしまうです。これは絶対の理です。
ですからもう、それは当たり前のように、栄枯盛衰は世のならいだと申しますように、一代二代のことじゃわかりません。親がそげんして一生懸命儲け出した。けども孫がちゃんと使ってしまったとなったらどうするですか。それよりも神様の方へ、天地への還元の方へ、時間でも物でも金でも、まあどうしてこれだけのことがしかし、日々のことが出来るじゃろうかと、皆さんも助かられるでしょうが。
神様へ神様へ、それは皆さんの真、真心がです、もう絶対神様が受けて下さっておるからこそ、それが出来るのです。まあそろばん取って言うならば、一年なら一年経って見てです。成程お神様にお参りする以前です。お神様へのお供えは一銭でもせじゃったという時代と、日々このように沢山のお供えが出来るようになったんだから、それだけはコロッと言うならば、貧乏にならなければならないのだけれども、貧乏になるどころか全てが円滑になったと言う事実がそこにあるのです。
それは信心させて頂くものの真が、真心がです、自分の命を張っての、言うならば、命を捧げての信心生活が出来て来るから、段々全てのことが整うて来る。天地の中に起きてくること一切が、それが自分の心に関わり合いのあること全てが順調にまわって来る。まわりがよくなる。だからそういう道理、そういう体験を積むまでが一つの辛抱でしょうが。
「やっぱりのう、毎日参って御賽銭も上げるとはやおろないからのう」と言うのは難しいのです。けどもその御賽銭が、お初穂がね、もう苦にならんようになった時には、もう信心が容易すうなっとる時です。ええですか、信心は容易いものじゃというそこまでが、やはり信心は容易いものじゃと、有難いものじゃ、楽しいものじゃとわからせてもらうところから。
何故なら私が言っているかというと、次のところを読んでみまし
ょうね、『三年、五年の信心ではまだ迷いやすい、十年の信心が続いたら、われながらわが心をまつれ』と仰る。成程お供えが億劫になったり、お参りがきつか時にはです、これはまだ迷いやすい時です。楽な方へ誘惑があるとぺろっとお参りを止めてしまう。
だから成程三年、五年で信心が容易いものだとわかってないからなんです。「三年、五年の信心では迷いやすい」、そこで十年の信心が続いたら、十年、その頃にはです、もういよいよ信心が有難うなって来ておる。楽しゅうなって来ておる。
私は子供の時に思いよった。善導寺にお参りさせて頂きますと、善導寺の久保山さんところの本家筋に当たられますかね、当時の久留米の総代、三井教会の総代をなさっておられました。久保山さんというてね、それこそ三井郡きっての大金持ちです。
そこの御主人が、善導寺に金光様が祀られて間もなく、もう医者が見放すような病気にかかられたのです。もう時間の問題というようにきつかった。そこで金光様にお願いしてというので、お願いをなさって、それこそ奇跡的に助かられた。その時のことをよく御説教で、子供の時から聞かせて頂きよりましたがね。あの御本人が御夢を頂かれた。
どこからともなしにですね、真っ白のいわゆる神馬が現れた。神様に仕える馬。そしてね、久保山さんがやすんでおられる。その前足で、その頭をこうやって挟んだ。じっと前に座ってから、そして前足で久保山さんの頭を挟んどいてね、そして自分の口を口移しのように、何かよだれのようなものを、こうやって口の中に移したと。それがもう何と言うのでしょうか、もう仁丹のような、とにかく爽やかな、爽やかな味じゃったという。
もうほんなそれが境になったそうですね。おかげを受けられたのは。もう医者もたまがる、自分もたまがる程しのおかげを受けられて、もう金光様のことならというて、打ち込まれて、もう三井教会の久保山さんか、久保山さんの三井教会かと言われる程しに、熱心な信心をなさいました。神様のおかげちゃ本当に有難い。だから、そういうおかげを受けたところから、いわゆる打ち込んだ信心が出来て来る。
久富正義さんのお父さんから何回も聞いた話ですけれども、金光様ちゃちょいと有難か神様ちゅうことだけは思う。久保山さんという方が、そういう三井郡きっての大金持ちであり、久富さん達はそこの小作としておられた時代のこと。もうそれこそ、その時分の大地主というたら神様のごとあった。
ところが、三井教会、善導寺の金光様にお参りするとね、その久保山さんが下駄預かりをしなさるというので評判になって、その殿様のようなひらきのある、もうその、これだけでも有難いことがわかると、わかっておりますけれども仲々信心が出来ません、ということがありました。大地主の久保山さんがね、大祭の時になると紋付袴で自分が下になってから参って来る。信者さんの下駄預かりの御用をされたということです。
人間がね、そのようになって来る。信心ちゃ。われながら喜んでわが心をまつれ、信心が有難いもの、楽しいもの、いよいよ信心が容易うなって来た。そういう信心が出来るようになってから十年間です。もう私は十年も二十年も信心しよるというのと意味が違う。信心が容易いものになってからの十年間の信心が、もし続けられたらです、本当に今までほごのように言うておった人達の履き物でも預からせて頂かねばおられない程しの心が出来て来る。
私は今日はここのところをいつも、信心は容易いものだということを、例えば自動車の運転は容易いものだと。それを例えば自動車の運転は難しいと言って、いつまでも稽古をしなかったら、いつまでも難しい。稽古をする気になったら容易い。皆さんが自動車に乗
って運転して来るから、ちょいと自動車の運転ちゃ難しか難しかと言うては乗って来よんなさらん。もうそれこそ運転しとるかどうか自分ではわかんなさらん位にあろうと思うんです。もう自分の手になり足になり、もう自分の体と同じに自動車が動いておるということなのです。自動車の運転は容易いものでしょうが。
神信心も同じこと、いわゆる嬉しいもの、楽しいものということになってまいりましたら、信心は容易いものということがわかる。しかも容易くなったそれから先が、いわゆるわが心が祀れるようになって来るのである。われとわが心が拝みたい程しの心の状態が生まれて来る。
『日は年月の始めじゃによって、その日その日のおかげを受けて行けば立ち行こうが、みやすう信心をするがよいぞ』と。ここんところですね。その日その日のおかげを受けて行けば立ち行こうが、ここのところでです、濡れ手に泡のつかみ取りのような気を出したらおかげにならんのです。もう日々が立ち行っておる、それも神様のおかげで立ち行っておるということがです、だからおかげというものは絶対のものと確信さして頂くけれども、こういうおかげでなからねばならんということはない。日々が立ち行っておるというそのこと自体が有難いということがです、わが心が祀られる心なのです。
いつまで経ってもおかげ頂ききらんという心は、これはおかしい。「もう十年も十五年も信心しよるけれども一向におかげ頂ききらん」「なしや十五年間おかげ頂いて来とるじゃないの」と言いたいようなことを言う人がある。いっぺんだってご飯を食べじゃったということもなからなければ、困ったことがあればお願いして、ちゃっとおかげ頂いて来ておるということがです、もっとその日その日の立ち行っていること自体がです、もちっと心の底から御礼の申し上げれる信心が必要だということ。
今月今日で一心に頼まして頂いて、そういうおかげが頂けておるとするなら、もう外に何を言おうかと言うことはない、今日もおかげで立ち行った。そういう心がです、わが心が祀れるのであり、わが心が拝めれるのです。何年も信心しよるばってん一向におかげ頂ききらん。おかげ頂いとるじゃないか。それをわからせて頂くところからが、私はわが心が祀れることだと思う。
そういう心の状態が続いて参りましたら、もうそれこそ本当の意味においてのです、言うならば思いもしなかった、夢にも思わなか
ったというようなおかげが展開して参ります。そういう夢のようなおかげを頂きたい、頂きたいと言って信心したって、おかげは頂かんです。
今月今日が立ち行っておる。今月今日で立ち行けば、その日その日のおかげを受けて行けば立ち行こうがと。今日も立ち行かせて頂いたということが有難いということになるのです。今日もおかげで立ち行かせて頂きましたにもかかわらず、立ち行ったにもかかわらず、「いつまでもおかげ頂ききらん」と不足を言う。神様が下さるおかげは、もうそれこそ何処へやらということになってしまっている。
今日の立ち行きがです、例えば夜の御祈念なら、夜の御祈念に御神前に座らせて頂いたら、まあとにかくきつい一日ではあったけれども、今日も立ち行ったことが素晴らしい。その素晴らしいことが素晴らしいこととして、御礼が言えれる心。心の底から御礼の申し上げれる心。
私達が段々おかげを頂いて参りましたのはね、そういう本当に信心すればどうしてあんなに貧乏せんならんだろうかといった時代にです、その日その日に立ち行くことに対して大変な感動を伴のうた有難さを身に付けて行きよったことが、私は願わんでも夢にも思わなかったというようなおかげになって来たんだと思いますね。
その日その日が立ち行っているならもう、これは大変なおかげであると実感できれる信心。さあそれから容易う信心をするがよいぞと。いよいよ信心は嬉しいもの、楽しいもの、いわゆる有り難いもの、それから先の信心はもう限りがない。限りがない程の信心をさせて貰うから、勿論限りりないおかげになって来る。
だからそういう信心の一つの基礎となるものはどこかというと、お参りをさして頂くということが、お供えをさして頂くということが、そう、今日私が始めに申しました還元ということを申しました。そういう真、真心とも申しました。真とは、真心とは、還元とは、とにかく自分の命を捧げる程しのことなのですから、時間だって、物だって、金だって、それが出来ていっておるところの喜びがですね、わからして頂くところから、それが先ずお道の信心の基礎になるもの。
そこから、例えば二時間の時間を使うよりも、四時間も五時間もの間を神様のことに仕えられるような身分になったら、さぞ有難いことであろうと思える信心。ああ、今は本当に百円しかお供えが出来んけれども、行く行くは千円も万円もお供えの出来るようなおかげが頂きたいなあということなのです。
そういう私は、信心がいよいよ信心が容易いものになりかけて来たところ、言わば楽しゅうなって来たところ、信心に夢がある。十年経っても二十年経っても、いつまでもおかげ頂ききらんというのはいつまでもおかげ頂ききらんです。夢がない。だから夢のようなおかげになってこない。
「どげんこげん言ったっちゃ、今日一日は立ち行くことの出来たことは有難いことぞ」と。例えば家内が不足言いよるところが、そう言えれる信心。子供がそげん言いよるなら、そればってんおかげ頂いとるよと。うんそうねと、相手が納得し得れる程しの信心。そういう信心を私は身につけて行くことが、信心は容易いものじゃということになるのじゃないでしょうか。私は今日それをしきりに、しきりに思うのです。
私は今日はね、私の信心はじめというのか、もう長いですけども、本当の信心、真の信心になろうと思ったのはやはり終戦後です。それまではおかげ頂きたい、おかげ頂きたいの信心でした。それが真の裸にならにゃならんような状態になってからです、これじゃ、今までの信心じゃいけなかったから本当の信心を身につけたい。真の信心を頂きたいという念願に燃えるようになって来た。その真の信心の手がかりは何であるかというと、親に喜んで貰いたい、親を安心させたい、この一念でした。だから、この一念を燃やすということは、絶対に遠大なおかげにつながるです。これは私の体験から言えれるのです。
どうかある時に、撫でさすりすることが親孝行じゃないです。そうする前にです、本当にこの親に安心させたいばっかりに、本気でいっちょ修行させて貰おう。こういう貧乏の中に、もし亡くなりどもしたらどうするであろうかというような思いが、だから、もし私は親が亡くなりましたら、私は親が亡くなったら、翌日に元に戻ってもよいと言うとるからですね。私は心にそのことがちょっと不安になるですね。両親が亡くなったら何かすとっとおかげが落ちてしまうとじゃなかろうかというのがある。時々あるです。
けど本当に有難い、私のそういった初一念というものをです、こんど若先生が結婚をする。若夫婦、そして私共夫婦、そして両親夫婦、もういよいよ親に喜んでもらえる、親に安心して貰える。これが私の一番はじめの頃の念願というものがですね、そのようにして叶うて行きよる。そういう例えば絶対のものを頂点にしての信心、そういう願いを、神様に絶対通うところの願いを焦点として、信心が容易いものになって来ねばいけんのです。
その日その日の立ち行きのおかげ頂いとるならば、もう不平があ
ってはならない、不足があってはならない。今日立ち行ったということは、不思議で不思議でたまらん位に一つわからにゃいかん。
いつまで経ったっちゃおかげ頂ききらんと、心の中に不足を言う。いかにもお神様がおかげ頂かしなさらんように、言わば内容が、その中にこもっとる。それでも本気でおかげを頂ききらん。いつまで経ったちゃおかげ頂ききらん。それでそういう人達に「あんた、おかげ頂いとるじゃんの」と言ったっちゃ、成程と気が付くでしょうけれども。
それを本当におかげを受けて、その日、その日が立ち行っとるということだけでも有難いと、心の底から万腔の感謝が捧げられるような心の状態。それはそのままわが心を祀っとるのと同じ。わが心を拝んでおるのと同じ。ですからこれにおかげが頂けんはずがない。 「いつになったらおかげ頂ききるじゃろうかね」と言うてから、夫婦でそげな話をするようではおかげにならん。今月今日立ち行きよるということが本当に有難い事だとわからせて頂く信心。そういう信心を、今日は容易い信心という風に申しましたです。
だから信心が容易いものとわからせて頂くところから、十年の信心が続いたら、成程われながらわが心を祀れる程しのおかげが頂けるだろう。もうその頃には、それこそ夢にも思わなかったようなおかげが展開して来る頃だと私は信じております。どうぞ。
池尻てるか